絶望の中、彼らはあきらめなかった。

1927年の5月、
彼らは遠く離れた
異国の地より持ち込まれた。

アメリカ合衆国
ミシシッピ川流域より、

我が国に
彼らが持ち込まれた目的は
ただ一つ

食われるためである。

彼らはウシガエルのエサ。

彼らは食われるために
我が国、日本にやってきたのである。

どんな気持ちだったであろうか。

完全なる絶望・・・

「進撃の巨人」「鬼滅の刃」
の主人公の人生もたしかに壮絶である。

だかしかし、所詮は作り話。

それ以上のことが
一昔前の日本に
現実として存在していたのである。

そして、彼らの数は

わずか20匹であった。

1918年に
アメリカ合衆国
ルイジアナ州ニューオリンズより、
一足先に我が国に足を踏み入れたのは
24匹のウシガエル。

1950年には
年間数百トンまで増えていた。

その胃袋を満たすために、
彼らはやってきたのである。

彼らを食う側のウシガエルも
所詮は人に食われるために、
日本にやってきた。

食用ガエルとも呼ばれていた。
私が子供のころには
なぜ「食用」と付くのか
わからなかった。
まわりにも史実を知るものは皆無であった。

ウシガエルは、
日本で養殖されアメリカに
輸出されていたのである。
1950年~1970年のことだ。

貴重な輸出品の
ウシガエルではあったが、
田畑の農薬に汚染され、
輸出ができなくなったといわれている。

昭和44年、
養殖は中止となり、
逃げだしたり、
放逐された個体が、
全国に広がっていった。

彼らは、
ウシガエルとともに
絶望的な状況から脱し、
日本全国に広がっていったのである。

食われるために
生きていた彼らであったが、
絶対にあきらめることなく
命を繋いできたからこそ、
このチャンスは訪れたのである。

飼い慣らされることなく、
強くたくましく異国で生き延びてきたのだ。

そんな、彼らにとっては、
日本の在来種なんて
敵ではなかったのかもしれない。

自由を手にした彼らは、
日本全国に広がり、
子供達のヒーローとなった。

エビっぽいのにカニと呼ばれ、
うまそうにみえるが
食べようとする人は少ないなど、
中途半端な扱いでも
彼らはあきらめなかったのである。

彼らの名前は
そう
アメリカザリガニ




大切な事はすべて、ザリガニが教えてくれた。

私たちは、一度
ここで立ち止まり、
改めて「ザリガニ釣り」ついて

真剣に考えなければならない時を
迎えているのではないだろうか。

地位や名誉なんて
ここでは
何の役にもたたない

重要なことは
スルメとタコ糸
それだけである。

真摯にザリガニと
向き合うことによって
ザリガニから多くのことを
学ぶことができる。

「大切な事はすべてザリガニが教えてくれる」
のである。

ハリがないにもかかわらず、
釣りあがってしまう彼らをみて

ただ笑うことは
もうできない